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STORY
「渦の杜」が生まれるまで
「渦の杜」が誕生するまでの代表のストーリーをお届けします。

コーチングの原体験は「9歳」
私は幼少期、クラス会でお笑いをやったりクラスのリーダーとして周囲を盛り上げるのが好きでした。しかしそんな「私らしさ」が消え去った時期があります。
コーチングの原体験は9歳の時でした。
当時スパルタトップダウン型の全国強豪サッカークラブに所属すると、年配で指導歴の長い監督の指導を受けました。毎週の走りメニューは吐き出す人が続出するほど辛く、一挙手一投足ごとに怒鳴られ、耐え続けるような日々でした。
気づくと私はいつも「どうしたら怒られないか?」ばかり考えるようになっていました。
ネガティブなことを考えていると、プレーも消極的になり結果的にミスをして、監督やチームメイトからまた怒られる、、、という悪循環でサッカーそのものを楽しめていませんでした。当時チームで一番怒られていたのは私でした。
また試合中に監督の罵声が広がると、選手個人やチームの雰囲気も暗くなり、パフォーマンスも下がり、選手本来の力が発揮されない。サッカーも楽しめない。怒られる選手がメンタルダウンする気持ちも痛いほど分かる。そうなってほしくない。
、、、
「どうにかしたい」と思ったのが、コーチングを始めたきっかけです。
私は当時、監督や仲間から受けた「ネガティブ・弱み・罵声」ではなく、「ポジティブ・強み・寄り添い」が大事だと考えて、一人一人にそしてチーム全体にコーチングをしていきました。
「どんまい!」「ミスっても俺が守るから」「ナイスランニング!」「気にすんな!切り替えようぜ」「積極的にチャレンジしていいよ!」「後ろは任せろ!」など。
当時はこれが私なりの精一杯でしたが、「下手くそなプレーでもチームに貢献できる」という介在価値を感じていました。「たった一声」で個人のパフォーマンスとチームの士気が変わるのを肌で感じていたからです。
その後のサッカー人生でも、部員からの推薦で主将を務めるなど、19歳にドイツでサッカーをするまでの10年間、「人とチームを前向きにするコーチング」を大事にしてきました。
これが私のコーチング「原体験」です。
分からなくなった自分らしさ
9歳までは人前に出ることになんの抵抗も無かった私でしたが、サッカークラブの監督の影響から「人からどう見られているのか?」を日常生活でも過剰に気にしすぎた結果、重度の「赤面症」に陥りました。
それは学校や日常生活でも悩みの種となりました。
学生時代、日直担当として黒板を消すだけで赤面しては周りから笑われ馬鹿にされたり、音楽の歌のテストは放課後にしてもらったり、悩み過ぎて親を学校に呼んで三者面談をすることもありました。
それでも「本来の自分はこんなんなじゃない」と、周りには悟られまいと顔を水で冷やしたり、あえてリーダーポジションを得ることで自らを鼓舞していました。しかしそのリーダーは本当のリーダーではなく鎧を纏ったリーダーであり、唯一自分を守ることができる仮面リーダーでもありました。
心の中ではいつも「本来の自分は赤面症がなければもっと堂々と振る舞いたい。なぜ自分だけ赤面症になるなのか?なぜみんなに笑われるのか?どうやったら赤面症が治るのか?」、そんな風に思っていました。
「本来の自分らしくいたいのに、赤面症で自分らしくいられない」
この葛藤は11年間続きました。
当時は誰にも理解されず、誰にも相談できず、「誰一人分かってくれない」と1人で抱えていました。
そしてなによりも「自分らしさってなんだろう?」と悩み続けた時期でした。



「真本音コーチング」に出会った20歳
法政大学経営学部に入学後「人や組織について学びたい」と考えて、法政大学大学院ビジネススクールのイノベーション・マネジメント研究科長を歴任された藤村 博之教授(厚生労働省中央最低賃金審議会 会長 24年現在)のゼミナールに入り、人事組織論について研究しました。
またあらゆるプロコーチと出会いコーチングセッションを受けました。
国際コーチング連盟認定コーチから、Co-Activeコーチ、ビジネスコーチ、エグゼクティブコーチ、NLPコーチ、アスリート専門コーチ、組織開発コーチ、心理カウンセリングコーチ、アドラーコーチ、メンタルコーチ、苫米地式コーチ、目標達成コーチ、認知行動療法コーチ、量子力学コーチ、スピリチュアル系コーチなどなど、、、
国内・海外で活動されるプロコーチのセッションを通じて漠然と「人・チーム・世界に影響を与える人でありたい」と考えるようになりました。
そんな中、衝撃的だったのが株式会社ITSUDATSU CEO 黒澤さんの「真本音コーチング」でした。
それはまさに「人生が変わる1時間」というような時間でした。
「自分の真本音の願いを言語化する」というセッションを受けたのですが、今までに感じたことのない「使命感」や「本来の自分らしさ」を思い出しました。
それまでに受けたコーチングが僕の人生に影響を受けたのは間違いありません。引き出しの数だけコーチ力が高まるのも事実です。
しかし、真本音コーチングはこれまでのコーチングと圧倒的に「一線を画す」印象を受けました。
黒澤さんからの質問が全く予想しないところから投げかけられ、それがスッと心の奥深くに入ってきて、質問されるだけでなく「世の中・人・組織」における原理原則のレクチャーを受けたり、、、これまでのセッションとは異なり、不思議な時間でもありました。
「真本音」の「感覚・違和感・好奇心」といった抽象度の高い言葉を具体的に「現実」に落とし込んでいくようなイメージで、VUCAにおける「正解のない抽象度の高い課題と向き合う現代」にピッタリ合うな、と直観しました。
そのセッションを通じて言語化した「真本音キーワード」が「渦」になります。
「渦」とは、「異なるもの同士が混ざり合うことで発生し、大きなエネルギーを持ちながらも向かう方向はただ一つ」。
これは「自分が人生で大事にしたいものだ」と思いました。
それから就活時は「世の中に渦を巻き起こす渦のような仕事をする」を軸にして、最終的にリクルートへ入社を決めました。
また「真本音の願いを言語化する」というインパクトに衝撃を受けた私は、「自分もできるようになりたいです」と個別指導を依頼し、大学4年時には100名の「真本音の願いを言語化する」コーチングセッションを行いました。
ありがたいことにセッションでは多数の口コミをいただき、関東各地の経営者から五輪アスリートなど多様な方にセッションを提供させていただきました。
「真本音の自分を知る」ことが深い自己理解に繋がる。クライアントさんの変化を見て確信しました。

リクルート時代の「挫折」と転換点
意気揚々とリクルートに入社したのも束の間、配属された採用支援の営業部署では全く売れず、毎日発表される営業ランキングでは【1年間、全国最下位】でした。
「研修で教わった通りにやっているのになぜ売れないのか?」、「全く売れなくて恥ずかしい」、「ちゃんと電話はかけているのに」、、、そんな事を考える日々。(振り返ると、当時は本当に給料泥棒だったなと反省しています)
そして更に、コロナ禍で追い討ちを受けていた頃「自分を変えたい」と思い、株式会社ITSUDATSUが提供するKANAME Academy(真本音リーダー養成Academy)に9ヶ月参加しました。
KANAME Academyではメイン講師である株式会社真本音 代表 竹内さんの講座とコーチングセッションを受けました。
竹内さんはコーチングがアメリカから日本に渡る30年前から企業に提供され続けてきた人材育成・組織開発のスペシャリストです。
そこで「人の心には真本音と反応本音の二つがある」ということを起点に、
「人、組織、世の中の原理原則」
「4つのリーダーシップ」
「個性の育成方法」
「実在と現象の一致法」
「企業の進化的成長と膨張的成長の違い」
「顕在意識コミュニケーションと潜在意識コミュニケーション」
「本質的な課題設定ヒアリング法」
「直観型セルフコーチング法」
「人・場・時間との調和法」
「意識の次元階層」
「8次元意識のトレーニング」
「0〜1,000で数値化する組織/事業の真本音度合い」
「21階層の組織/事業の成長指標」
「人・組織の6つの一貫性」
「特異点」
「実在世界について」
等々、、、
あらゆる「原理原則」を学びました。人生で最も深く自分と向き合った1年でした。
当時、共に参加していたメンバーも各業界の第一線で活躍していましたが、「真本音」と向き合うことでより飛躍している姿を見て私は刺激を受けていました。真本音はなによりも心だけでなく「現実と向き合うこと」を大事にするからです。
その時に自身の「真本音」を「思い出す」キーワードとして「赤ちゃん」という言葉が出てきました。
「純粋で好奇心に従い、真っ直ぐに進む」
そんな「赤ちゃんのような心を持って生きるのが、本来の私が大事にしたい姿だ」、ということを思い出しました。
どうしてもビジネスの時になると「経営者に対してしっかりしなきゃいけない」と強く思い込み、過度に鎧を纏ってしまっていました。その結果、信頼関係が構築できず、ヒアリングの質も低くなり、筋の悪い提案をしてしまうことで失注が続いていたのです。
そこから「もし赤ちゃんだったらどうありたいか?」を追求した結果、今までの「対面提案型商談」から、経営者とホワイトボードを活用した「作戦会議型」へと営業スタイルを180度転換しました。
「経営者に強く提案して受注を取りにいく」のではなく「経営者とディスカッションして、相手の真本音を引き出して一緒に解決していくことが自分らしいのでは?」と考えました。
グラフィックレコーディング講座にも通い始め、実際に「作戦会議」を試してみると、だんだんとお客様がディスカッションに夢中になっていくのが分かりました。
そして社長から「ちょっと専務と常務と事業部長も呼んでくるわ」と、一緒に企業の未来像と人材戦略についてディスカッションしていくようになりました。その結果、自然と「駒井さんにお願いしたい」と契約をいただく機会が増えてきました。
その年にランキングで1位になり、業績と顧客満足度の全方位で評価する「BSC(バランススコアカード)部門」にて3回トップ受賞をいただき、当時最年少でリーダーに昇格しました。約1,500社と商談し、234社のあらゆる業界の人材支援をさせていただいた経験は今でも私の糧となっています。
そして、「真本音を起点に行動すると、自然と自分らしさが発揮されて成果も出る」
これを身を持って体感しました。(当時、愛情深く育ててくださったマネージャー・リーダー・諸先輩方に感謝しています)
また実際にリーダーとしてメンバーマネジメントを担当していた際も「チームとメンバーの真本音を言語化する」ことからチームビルディングを組み立てていき、結果としてメンバーの営業契約数は四半期比8倍の成果に繋がりました。
その頃から私は入社以来持っていた、「どのようにしたらFollow Yout Heart(リクルートのビジョン)な世界を実現できるか?」に意識が強く向いていました。
そこでまずは「Follow Yout Heartな世界を実現する」ための3役割を整理しました。
①サービスを創る人(企画開発・エンジニア)
②サービスを届ける人(営業・マーケティング)
③会社を創る人(経営・人事・コーポレート)
その中でも、今までの現場経験を通じて「”組織のFollow Yout Heart 度合いが高まれば、社会への価値提供度合いも指数関数的に高まるのではないか?」と仮説を立てました。
「Follow Yout Heart 度合いの高い人材を集め、育成する仕事がしたい」と考えた結果、私は本社人事にレポートを提出し社内制度を活用して人事へ異動しました。
■KANAME Academy 振り返りインタビュー(2022年)
https://www.youtube.com/watch?v=hAu_3huSwgM


人事へ異動、そして休職。
人事では中途採用から新卒採用サポート・ステークホルダーとのディレクションなど激しく働きました。朝一番にオフィスに着いて電気をつけコーヒーとバナナを片手に始業し、夜遅くまで仕事をする日々が続きました。
あらゆる意志決定が事業に直結するので責任と難しさとやりがいを感じていました。
その中で採用業務を通じて一人一人と100%で向き合ってきたものの、どこか70%〜80%で候補者から意志決定されているような感覚と定着後に起こるミスマッチと改善されない現場体制に違和感を持ち始めました。
「あぁ、自分は”100”じゃない感じが嫌なんだな。そしてこれは一切譲れない信念なんだな。」と気づきました。
「個人の人生や会社の事業がかかる意志決定において、100か99ではその先の展開に大きな違いが生まれる。」これまでの経験を通じてそう思っていました。
「100で生きようとする人に、100の力を注ぎたい」、その思いはやがて意志のように強くなっていきました。
一方でどうにか採用チームで改善を試みようとしたものの、働き詰めだった日々が続いたこともあり、とある時期からだんだんと身体が言う事を聞かなくなりました。
ミッションがあるのに仕事に集中できない、次の面談が迫っている、体が動かない、チームに迷惑をかけてしまう、そんな所まで来ていました。
「これはヤバイかも。でもさすがに離脱はできないな、、もう少し頑張ってみるか。」そんな風に思いながら格闘していました。
ただ身体も限界にきており、「この生き方で合ってるんだろうか?今は正しく向き合えない。まずは身体を休ませないと。そして回復したらじっくり整理しよう。そして今後について決断しよう。」と決めました。
私は人事部長に休職意向を告げました。
当時、二つ返事で「大丈夫だよ」と言ってくれた部長と体制を整えてくださったチームメンバーには本当に感謝しています。
スパルタなサッカーを耐えてきて、営業も努力で乗り越え「こんなに向き合う人を初めて見た」と上長から言われた自分がまさか休職するなんて、、、「あぁ俺の人生、どうなるんだろう・・」そんな風に最初は思いました。
空白な休職期間が続く中、体調が少し落ち着いたタイミングで私はベトナムへ一人旅に出ました。
私にとってベトナムの「ホイアン」は大学時代に日本語学校を立ち上げたアナザースカイでした。
渦の杜 創業
ベトナムのホイアンに着くと毎日、92station Cafeという落ち着いたカフェの屋上テラスで一人、ゆっくりと深く自分を観つめる時間をとりました。
「これからどうするのか?」
「会社にいつ戻るのか?」
「今の生き方でいいのか?」
「本当にこのままでいいのか?」
「後悔しない選択ができているか?」
「本当は何がしたいんだっけ?」
「100で生きようとする人に100の力を届けたい」
「独立したい」
「あぁでも本当は恐いな、、、」
「コーチングで生きていけるのか?」
「関係者に甘い、って言われるな」
「リクルートでもっと経験を積んでからじゃない?」
「いやでも20代でリスクを取らないと一生後悔する気がする」
「だめだ、怖すぎる」
「わからない」
「100で生きたいんじゃないの?」
日々、自問自答を続けました。
これまでにリクルートで向き合ってきた36冊の自己分析ノートも振り返りながら・・・
そんなある日、カフェで約3時間が経った頃、転機が訪れました。
ふと何気なく吹いた風が肌に触れた時、「あぁ、この感じが答えか」とわかりました。
自然体で、純粋で、心に従って生きる。
「迷ったら、ワクワクする方へ」
、
、
、
「独立するか。」
そう決断しました。2022年11/3(木)14:12:29のことです。
そして一度復職しました。
「コーチングの文化をリクルートの人事に残したい。これはやり遂げたい。」そう思った私は、巨大事業部の旧態組織風土を変えるべくコーチング型組織変革をゼロから企画実行しました。
事業部においてオンボーディング上の課題があり、中途入社者が本音を話せず、現場マネジメントとの間に大きな認識の乖離が発生していました。そこで中途入社者にコーチングを実施し、吸い上げた本音を現場にフィードバックし、マネジメント改善してもらうという提案を全国の部長・支社長に対して実行しました。
また、忙しい人事メンバーばかりだったので「誰もが20分で相手の本音を引き出すコミュニケーションができるように」と考えて「本音を引き出す4つの質問」を開発し、再現性のある形で人事部内に展開しました。これで「自分のやれるベストは尽くしたな」と思いました。
人事部長からも「こんなに人と向き合うプロフェッショナルはいない」という言葉をいただき、私はリクルートを卒業しました。
そして2023年7/4、私は渦の杜(Uzunomori)を創業しました。
資金もほとんど0に近い状態からのスタートです。
「渦の杜」には「渦のようなエネルギーが杜のように広がる。」
そんな願いが込められています。
サービス・価値観・ストーリー・国籍・年代など、2つ以上の異なる人の「真本音」が「一つ」に向き合おうとする時、「渦」が発生します。その「渦」が持つ影響力はやがて、「杜」のように広がっていきます。
これまでに数多くの企業、経営者、現場の方々と向き合わせていただきましたが、その中で確信しているのは、「真本音で決めると全てが変わる」ということです。
「覚悟が定まる」とも言えます。
私はこの「真本音」を元に、「現実と向き合う人・組織」が現れて、世の中の風向きが変わることを願っています。
Vision「純度、100%」:自分の心に純度100%で生きる世界観。
Mission「真本音と現実の一致」:人や組織の「真本音と現実」を一致させていきます。
Value「真本音で向き合い、真本音で伝える」:いついかなる時も真本音で向き合います。
これらを胸に、「渦の杜」は人と組織と世の中と向き合い続けていきます。
最後に、ここまで育ててくださったリクルートの方々、KANAME Academy主催の黒澤さん、竹内さん、大学時代の恩師である株式会社旅武者 代表・故 山口和也さん、Edgeyの皆さん、サッカー時代の監督やメンバー、あったかい友人たち、家族に心から感謝しています。
渦の杜 代表 駒井幹杜

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